人間特有の建設的な考えについて

建設的に自分の人生を過ごしたい。ただその建設的という心の持ちようは、若いころ、特に20代のころとは違うものでなければ。今強くこう思う気持ちは別に若いころもっていなかったわけではなく、若いときなりにそういう純粋な部分は基本であったのだが、やはり若さゆえというか、経験値も今の自分とは違い、あらゆる免疫のない状態で未熟であったため様々な現象に心があやつられ、戸惑い、なかなか真理たるものを見定められなかった。

若い頃は建設的なイメージが言わば純粋、無知すぎて、具体的に建築物だとするならば近代的なのだがもろく、傷つきやすく、耐震性などまるでないプレハブ工法の建物であった。気持は純粋なのだが周囲の雑音はすぐ吸収してしまい、地震などあろうものなら根底から消滅してしまうもの。

いまから思えばその純粋さがいささか愛おしくも感じるものだ。若いということは自分だけでなく多かれ少なかれみなそういうことなのかもしれない。この歳になると、いつまでも若くいたいという気持ちが強くなってきたように思う。もちろん20代の頃には当然無かった感情。これは純粋に肉体的に衰えたくはないという気持ちはやはりある。ノスタルジックに若い頃の記憶がよみがえったり、懐かしく思えたりすることが最近特に多い。この感情は、単に今と昔を比べるというより、年齢を重ねることにより生ずる肉体的な衰えに対する人間固有の願望なのかもしれない。

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